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郵便の始まり
通常葉書は1873年(明治6年)、私製絵葉書は1900年(明治33年)から使用が認められた。
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日露戦争と絵葉書ブーム
私製絵葉書が認可されて以降、風景絵葉書はもとより美人絵葉書がブロマイドとして人気を博し、おりしも日露戦争の記念絵葉書が一大ブームになり全国に絵葉書専門店が次々と開店し庶民に浸透していきます。
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絵葉書は文学の大衆化と共に車の両輪の様に進んでゆく
「日本絵葉書会」が発行するハガキ文学(明治37年創刊)を通じて出版大手「博文館」は多くの美術絵葉書を販売し日本の美術作家の発掘と絵葉書の普及に大いに貢献した。 ハガキ文学懸賞の項目に普通文(論説、美文、写生文、漫録、書簡文)、新體詩、漢詩、和歌、俳句、絵葉書の図案、掲載用カット図案等が有り多くの懸賞金が出され文学、美術の融合が試された。
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芸術性が高く質の良い絵葉書は日本人の豊かな感性を満たしていった
19世紀末のヨーロッパを中心に流行した有機的な曲線を用いた流麗なデザイン、アール・ヌーボー様式を代表するアルフォンス・ミュシャやラファェル・キルヒナーの絵葉書は多くの渡欧の日本美術作家に影響を及ぼした事は想像に難くない、しかしアール・ヌーボーに影響を与えたのは浮世絵でありジャポニズムであった。 日本美術は書、文、戯画、浮世絵の伝統をふまえ洗練された日本独自のアールヌーボー、アールデコに進化させモダンデザインに繋がっていく。
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女性等の 手彩色絵葉書 がデザイン化される
奇抜なアイデアとユニークなデザインで手彩色絵葉書が風俗や文化を表現する。
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滑稽画、ポンチ絵、干支の動物から七福神まで
、東京パック(主筆:北沢楽天)等々社会を滑稽に風刺する雑誌が評判を呼び、ありとあらゆる物がデザインの対象になる発想の豊かな時代だった。 -
より自由な発想、大正ロマンの開花
竹久夢二を代表とする大正ロマン情緒絵画の美術作家が多く輩出した。
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木版デザインの進化
北斎や歌麿等の後刷り木版も小さいサイズながら緻密で味わいの深い物がある。木版の伝統が色濃く残っていた当時、創作木版の会等が展覧会 を開き啓蒙を図った。
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商業デザイン
交通の発達により通商(博覧会、郵便等)、商業(百貨店、飲料等)等々多種多様な絵葉書がアール・ヌーボー風のデザイン等に装飾された。
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絵葉書で遊ぶ
多種多様なジャンルやデザインだけにとどまらず、材質、形状、エンボス、仕掛け(音が出る、絵柄が動く、蛇腹の写真出てくる)、透かして見る透かし絵葉書
等々見て触って動かして、愉しみ遊ぶ絵葉書が生まれた。
左:透かし絵葉書 右:夜光塗料が塗布されている。 -
大正から昭和の初めにかけ子供向け絵葉書が人気に
当時少女雑誌の挿絵、口絵の作家が人気を呼び漫画のキャラクターや年賀用の可愛い絵葉書が多く作成されました。
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郵便の始まり
世界に先がけ官製ハガキが1869年オーストリア・ハンガリー帝国郵政省で誕生した。
その後、1870年~1874年にかけてヨーロッパ各国に導入された。
間もなく、官製はがきの通信面に絵柄を挿入するようになり絵入り官製葉書が生まれる。官製ハガキの認可年
1870年ドイツ
1871年ベルギー、オランダ、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、カナダ
1872年ロシア、チリ、フランス、アルジェリア
1873年アメリカ、スペイン、セルビア、ルーマニア
1874年イタリア -
私製絵葉書ブーム
通信面への絵柄印刷が認可され、印刷技術の向上に伴い誰でも簡単に絵葉書を作製、販売する事が可能となり19世紀末から20世紀初頭かけて大量に生産され大ブームとなる。
1900年頃まで続いた初期の絵葉書は、通信文記載は通信面のみに限定された為、小さい字で絵柄を避けて一杯に書かなければならなかった。
私製絵葉書は1872年ドイツ、1873年フランス、1894年イギリス、1898年アメリカ」の順で認可される。
宛名面の一部を区切って通信欄にすることが1902年に初めてイギリスで採用され次々と各国でも採用される。これにより情報量が増え、より実用的で芸術性の高い絵葉書が発行されるようになった。
認可年1902年フランス、イギリス、1905年ドイツ、1907年日本、1907年アメリカ絵葉書ブーム到来によりヨーロッパ中で収集を目的とした専門雑誌や熱心なコレクターが誕生した。専門雑誌
- イルストリエ・ポストカルテ誌 1898年 ドイツ
- カルト・ポスタル・イリュストレ誌 1899年 フランス
- ポスター・コレクター誌 1899年 イギリス
- アンディカツゥール・デュ・フィロカルティスム―収集家のための新雑誌 1899年 イタリア
- エスパーニャ・カルトフィラ(スペイン絵葉書愛好家協会機関誌)1901年 スペイン
- 著者名 ジョヴァンニ・ファネッリ、エツィオ・ゴードリ
- 作品名 アール・ヌーヴォーの絵はがき
- 原著 La cartolina art nouveau
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美術絵葉書の誕生
オーストリアの絵葉書
官製絵葉書を最初に発行しただけでなく、絵葉書の分野でも種類の質と高さでも他国をリードし続けた。ウィーンの芸術家たちはグループによる制作活動に関心があり、企画から商品化まで全て自分 達の手で行うこともあった。絵葉書でもこの傾向が見られ、複数の芸術家達が共同でデザインをおこし、一つのシリーズ絵葉書を発行した。コロマン モーザやラファエル キルヒナーといった優れた芸術家たちによる積極的な 活動により、オーストリアの絵葉書は欧米諸国を席巻した。
アールヌーボ、アールデコスタイルの絵葉書
アールヌーボのスタイルは優雅な曲線と細密な描き込みを好み、有名なアルフォンス ミュシャなどが手掛けた美麗な多色刷り絵葉書は、グラフィックデザインの先駆けとなり、ポスターと並ぶ人気を誇った。
アールデコのスタイルはデザインを単純化させることを目指し、直線を用いて強烈な印象を与えるデザインは、新しい時代の到来を予感させるものとして広く親しまれた。 -
写真入絵葉書の登場
印刷技術の向上と写真機の改良により、写真が紙に大量に複写することが可能になった。絵葉書とは異なった趣のある写真と絵葉書ブームが手を結び、世界中で有名人の ブロマイドや観光地などあらゆるジャンルの写真入絵葉書が大量に作られた。
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グリーティングポストカードの誕生
中世から行事にちなんだ詩や言葉を書いて送る習慣が有り、文面を華やかに演出するために装飾を施すようになった。やがて詩や言葉よりもイラストや装飾の方が重要視されるようになり 、手紙からより送りやすいカードが好まれるようになった。19世紀末にイギリスにて最初のクリスマスポストカードが発売されたのを期に、多種多様のグリーティングポストカードが 発行されるようになった。ドイツの優れた印刷技術により大量に輸出された。
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広告絵葉書とその効果
紙媒体による情報が主流であった時代、色鮮やかなイラストや写真はそれだけで人目を引く効果があった。そこで絵葉書は商品の宣伝やイベントの広告として活用され、ロゴマークや宣伝文句 の入った美麗な絵葉書が印刷された。
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絵葉書で遊ぶ
多種多様なジャンルやデザインだけにとどまらず、材質、形状、エンボス、手芸、仕掛け(音が出る、絵柄が動く、蛇腹の写真が出てくる)、透かしてみる透かし絵葉書等々見て触って動かして、愉しみ遊ぶ 絵葉書が生まれた。
表面(住所・宛名面)から印刷された年代の推定ができる
※逓信省私製絵葉書制定又は官製はがき発行資料による。
[A]明治33年(1900)~明治39年(1906) | 住所氏名のみ記載。私製絵葉書の発行が認められる。 |
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[B]明治40年(1907)~大正6年(1917) | 表面下部の三分の一以内(1/3線)に通信文の記載が認められる。 |
[C]大正7年(1918)~昭和7年(1932) | 表面下部の通信文記載が三分の一から二分の一(1/2線)に拡大される。 |
[D]昭和8年(1933)~昭和19年(1944) | 表面上部記載の「きかは便郵」が「きがは便郵」に表示変更される。 |
[E]昭和21年(1946) | 表面上部記載の「きがは便郵」が左読み「郵便はがき」に表示変更される。 |
裏面(写真・通信面) からの見方
判別例
人物の服装や髪型、建物や街路灯、企業看板等で判別。個別に有名な建物等特定が出来たとしても厳密には難しく、撮影年、印刷年、使用年等の区分けも必要になります。
※切手の消印・記念スタンプの印字年・書き込み年・建物情報等が有る場合使用年の推測ができます。
明治34(1901) | 赤い丸型ポストが登場 |
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明治42(1909) | 両国国技館完成 |
大正3(1914) | 宝塚少女歌劇初舞台 |
大正15(1926) | 神戸元町鈴蘭灯完成 |
昭和2(1927) | 青い目の人形歓迎会 |
実逓(実際に使用)の場合切手や消印、記念スタンプからの見方
郵便切手の年代
菊切手 | 明治32年(1899)~明治41年(1908) |
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田沢切手 | 大正2年 (1913)~昭和13年(1938) |
第1次昭和切手 | 乃木大将 昭和12年(1937) |